「茶あそび彩茶会」会長 山崎嘉正 (川越商工会議所副会頭) 多くの方々が日本の伝統文化である「茶の湯」を気軽に親しむことが出来る趣旨で始めました。 本格的な茶席から、茶の湯を全く知らない方でも楽しめる茶席まで、バラエティーに富んだ企画を用意しています。どうぞお楽しみください。【催し案内】 (1)甲冑茶席 (2)体験茶席 (3)妖怪茶席 (4)朗読の茶席 (5)埼玉地酒試飲酒席 (1)遠州茶道宗家、小堀宗実家元の献茶式 (17日/中院/別途参座券が必要) (2)薩摩琵琶演奏(こちらは入席料がかわります) (1)喜多方市、那須、ときがわ町などの物産 (2)狭山茶の販売会 (3)江戸の酒蔵「春の新酒フェア」試飲販売 |
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河越茶の起源(川越茶とは)
川越は、関東最古の全国でも古い茶の産地である。河越(かわごえ)(川越)茶の起源は、伝承では、平安時代、慈覚大師円仁が天長7年(830年)星野山無量寿寺中院建立(冒頭写真)に際し、比叡山より持参した茶の実を栽培したことに始まり、文献では、鎌倉末期から室町時代に虎関師錬が著した『異制庭訓往来』に全国の茶の産地の一つとして武蔵河越の茶が記載されている。江戸時代初期の川越城主酒井忠勝や松平信綱は共に徳川将軍家の茶道指南役・小堀遠州との交わりがあり、川越藩の茶業や茶の湯に影響したと考えられる。
江戸時代には明の煎茶がわが国に伝来し、江戸時代中期に川越地方にも煎茶の製法がもたらされた。明治に主要な輸出品として栽培、旧川越藩主は、製茶機械を開発し、茶の栽培にも力を注ぎ今日の茶業隆盛の基礎を築いた。抹茶が主流の時代から江戸時代までは、この地域(川越・狭山・入間・所沢周辺)の茶は河越茶と呼ばれ、近代になって狭山茶の呼称が普及したと考える。